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東京地方裁判所 昭和61年(行ウ)164号 判決 1987年11月25日

原告 甲野竹子

右訴訟代理人弁護士 岡本達夫

被告 社会保険庁長官 吉原健二

右指定代理人 水野秋一

<ほか六名>

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が昭和五五年九月二五日付けで原告に対しした厚生年金法に基づく遺族年金を支給しない旨の裁定を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  亡乙山春夫(以下「春夫」という。)は厚生年金保険法(昭和六〇年法律第三四号による改正前のもの。以下、単に「法」という。)の老令年金の受給権者であったが、昭和五四年八月二五日死亡した。

2  原告は、昭和五五年六月二八日、被告に対し、法五八条に基づき、原告が春夫の内縁の妻で、春夫により生計を維持していたものであるから、法五九条一項の遺族に当たる、として、厚生年金保険の遺族年金(以下単に「遺族年金」という。)の支給を請求(以下「本件支給請求」という。)したところ、被告は、同年九月二五日付けで、春夫には戸籍上届出のある配偶者(妻)乙山松子(以下「松子」という。)がおり、原告が法五九条一項に規定する遺族に当たらないから、受給権がない、として、遺族年金を支給しない旨の裁定(以下「本件裁定」という。)をした。

3  原告は、本件裁定を不服として、昭和五五年一〇月二三日、神奈川県社会保険審査官に審査請求をしたところ、昭和五六年二月一八日付けで審査請求を棄却する旨の決定を受け、次いで、同年四月一三日、社会保険審査会に再審査請求をしたところ、昭和六一年六月三〇日付けで再審査請求を棄却する旨の裁決を受け、原告は同年八月二五日これを了知した。

4  しかしながら、春夫と松子は、昭和一六年七月に事実上の婚姻生活に入り、昭和一八年七月二四日婚姻の届出をしたが、その後数年間不仲が続いたうえ、昭和三二年一一月頃別居し、以後、互いに憎しみ合い、交際がなかったものであり、しかも、春子は、原告と春夫とが後記のとおり夫婦関係にあることを十分承知していたものであって、松子と春夫との間には、夫婦としての実質は全く存しなかった。一方、原告は、昭和三三年頃から春夫が死亡するまでの二〇年以上の間、同人と同居して実質上夫婦生活を送ってきており、その間、原告と春夫は、夫婦として、二組の結婚式の仲人を務めており、また、原告は、病弱な春夫に代わって、原告の収入から厚生年金保険の掛金を支弁した。さらに、原告は、春夫の葬儀に際しては、喪主となり、それ以後も春夫の霊を供養してきている。

5  以上のとおり、原告と春夫とは事実上の夫婦であり、春夫と松子との間の婚姻関係は実体を失っていたものであるから、原告は、法三条二項に規定する「婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者」に該当する。

したがって、原告は、遺族年金の受給権を有するものであって、原告の本件支給請求を排斥した本件裁定は違法であるから、その取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1ないし3の事実は、いずれも認める。

2  同4のうち、春夫と松子が昭和一六年七月に事実上の婚姻生活に入り、昭和一八年七月二四日婚姻の届出をし、昭和三二年一一月頃別居したことは認め、春夫と松子との間に夫婦としての実質が全く存しないことは否認し、その余の事実は知らない。

3  同5は争う。

三  被告の主張

1  法五九条一項の「配偶者」について

(一) 法五九条一項にいう「配偶者」とは、民法七三九条及び戸籍法七四条の規定により婚姻の届出を行った者はもちろんのこと、「婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者」(以下「事実婚関係にある者」といい、右の事実上婚姻関係と同様の事情にある関係を「事実婚関係」という。)も含まれる(法三条二項)。そして、事実婚関係にある者とは、婚姻の届出を欠くが、社会通念上夫婦としての共同生活を営んでいるものと認められる者をいい、その要件として、①当事者間に、社会通念上夫婦の共同生活と認められる事実関係を成立させようとする合意があること、及び、②当事者間に、社会通念上夫婦の共同生活と認められる事実関係が存すること、が必要である。

(二) ところで、法五八条一項の各号の一に該当する被保険者又は被保険者であった者(以下「被保険者」という。)が、届出のある婚姻関係(以下「法律婚関係」という。)に重ねて事実婚関係に入った場合(以下、法律婚関係に重なっている事実婚関係を特に「重婚的内縁関係」という。)において、法五九条一項の配偶者として、法律婚関係と事実婚関係のいずれを優先させるべきかであるが、民法が法律婚主義を採用していること、及び、年金支給の関係で事実婚関係にある者を配偶者として認めるに至った趣旨が、民法上の法律婚主義によって起きる欠陥を補い、実情に即したものにしようとすることにあることからすると、原則として、法律婚関係を優先すべきであるが、例外的に法律婚関係がその実体を全く失ったものになっている場合に限り、重婚的内縁関係を優先し、その事実婚関係にある者を法五九条一項の配偶者に該当するものと解することができるものというべきである。

(四) 右の「法律婚関係がその実体を全く失ったものになっている」という状態は、これを一義的に定めることは困難であり、具体的事実について個々に認定するほかないものであるが、例えば、当事者が離婚の合意に基づき夫婦としての共同生活を廃止してはいるものの、戸籍上離婚の届出をしていないとき、あるいは、一方の悪意の遺棄によって共同生活が行われていない場合において、その状態が長期間継続し、当事者双方の生活関係がそのまま固定化しているときは、法律婚関係がその実体を全く失っているということができる。しかし、別居生活の状態にあっても、当事者双方に離婚の合意がないとか、その意思もないようなとき、あるいは、一方の悪意の遺棄による場合でも、法律上の配偶者の生活費、子供の養育費等の経済的給付が行われたり、音信があるときは、法律婚関係はなお実体を失っていないとみるべきである。

2  本件の事実関係

(一) 春夫と松子とは、婚姻後、神奈川県川崎市《番地省略》のアパート(以下「丙川のアパート」という。)で共同生活を営み、昭和二二年九月二八日(同日出生として届出)長男一夫(昭和三八年九月一八日死亡)をもうけた。昭和二二年頃、松子の妹である原告が、春夫・松子夫婦と同居することになり、その後、原告と春夫との間に肉体関係が生じ、春夫は、昭和三二年一一月頃、東京都世田谷区《番地省略》に家を借りて、原告と共に丙川のアパートを出た。

(二) 春夫は、昭和二一年一月から昭和四六年八月まで同区《番地省略》にある丁原株式会社に勤務し、同社を定年退職した後は、同年九月から昭和五一年九月まで同区内にある同社の寮の管理人として、同年一一月から昭和五二年一一月まで千葉県市川市内のビルの管理人として、昭和五三年一月から昭和五四年八月二五日死亡するまで川崎市《番地省略》にある戊田サービスの寮の管理人として、いずれも住み込みで勤務していた。

(三) 松子は、春夫が丙川のアパートを出た後も、昭和四七年一二月一〇日丙川のアパートが立替えられるまで、引き続き同所において一夫と居住し、その後は、隣地(川崎市《番地省略》)に転居し、同所において生活していた。

(四) 春夫は、丁原株式会社を退職するまでは、その勤務先が乙田区内にあり、丙川のアパートに近かったことから、別居後も丙川のアパートを度々訪れており、一夫が死亡した直後は、一か月間松子と同居した。春夫は、その後松子が看護婦として勤務しはじめてからは、丙川のアパートの鍵を預かり、松子が不在の時にはアパートに異常がないか見回りをするとともに、自由にアパートに出入りしていた。また、春夫は、自分自身の健康について看護婦である松子に相談したり、松子から生活費の援助を受けたりする等の関係があった。

3  本件裁定の適法性

以上のとおり、春夫と松子との間には、別居後も夫婦としての音信があり、法律婚関係が実体を全く失っていたものとはいえないのであるから、仮に原告と春夫とが事実婚関係にあるとしても、法五九条一項に規定する配偶者は松子であって、原告はそれに当たらないというべきである。よって、原告が法五九条一項に規定する遺族でないことを理由として原告の本件支給請求を排斥した本件裁定は、適法である。

四  被告の主張に対する認否

1  被告の主張1は争う。

2  同2について

(一) (一)のうち、春夫と松子とが昭和二二年九月二八日長男一夫をもうけたこと、春夫が昭和三二年一一月頃原告と共に丙川のアパートを出たことは否認し、その余の事実は認める。一夫は、春夫の弟である乙山夏夫の実子であるが、春夫と松子の長男として届け出られ、養育されたものである。

(二) (二)及び(三)の事実は認める。

(三) (四)のうち、春夫が、一夫死亡後、松子としばらくの間同居したことは認めるが、その余の事実は否認する。なお、右の同居期間中、原告も春夫と共に同居していた。

3  同3は争う。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1ないし3の事実(本件裁定の経緯等)は、いずれも当事者間に争いがない。

二  原告が法五九条一項の配偶者に該当するかについて判断する。

1  法三条二項は、遺族年金を受けることができる法五九条一項の遺族のうちの配偶者について、事実婚関係にある者を含むとしている。ところで、被保険者が法律婚関係にあると同時に重ねて事実婚関係(重婚的内縁関係)にある場合において、被保険者が死亡したときに、法律婚関係と事実婚関係とのいずれの関係にあった残存する相手方を遺族年金を受けることのできる法五九条一項の配偶者と認めるべきかについては、民法が法律婚主義を採用していることに照らすと、原則として、法律婚関係を優先し、その関係にあった者(残存相手方)が同条項の配偶者に該当するものと解すべきであり、その結果、事実婚関係にあった者(残存相手方)は同条項の配偶者に該当する余地がないものというべきである。しかし、遺族年金が被保険者死亡の場合にその遺族の生活の安定と福祉の向上に寄与することを目的として給付されるものであることに鑑みると、法律婚関係が実体を失って形骸化し、かつ、その状態が固定化して近い将来解消される見込みのない状態にあるとき、すなわち、事実上の離婚状態にあるときには、法律婚関係にあった者は、遺族の実質を失って、遺族年金を受けることのできる同条項の配偶者に該当しないものと解するのが相当である。そうすると、事実婚関係(重婚的内縁関係)にあった者は、法律婚関係が右の如き状態にあるときに限り、例外的に、同条項の配偶者に該当するとされる余地があるものということができる。

2  そこで、本件につき検討するに《証拠省略》よれば、以下の事実が認められる。

(一)  春夫は、昭和一六年七月頃、松子(旧姓甲野)と事実上の婚姻生活に入り、昭和一八年七月二四日婚姻の届出をし、丙川のアパートで松子と共同生活を営み、春夫の弟の子である一夫(昭和二二年九月二八日生まれ、昭和三八年九月一八日死亡)を春夫と松子との間の長男として届け出て養育していた(以下の事実は、一夫が春夫の弟の子であることを除き、当事者間に争いがない。)。

(二)  原告は松子の実妹であるが、昭和二二年頃洋裁を習うため上京し、以後春夫・松子夫婦と同居していた。春夫は、その頃丁原株式会社に勤めていたが(この事実は、当事者間に争いがない。)、同社から受ける給料を家に入れず、春夫・松子夫婦の生活費は、松子が看護婦として稼働して得た給料が充てられていた。ところで、原告が春夫・松子夫婦と同居中の昭和二七年頃、原告と春夫との間に肉体関係が生じ、昭和二八年頃、右関係が松子に知れることになった。原告は、春夫との関係を清算するために、昭和三〇年頃いったんは他に嫁いだが(ただし、婚姻の届出はしていない。)、約四か月で解消になり、一時丙川のアパートに身を寄せ、次いで東京都品川区蒲田にアパートを借り、洋裁の仕事に従事した。その後、原告は、約半年間病気のため実家に戻り、病気療養後再び上京し、東京都港区芝に居を求めた。

(三)  春夫と原告との関係が松子に知れてから、春夫と松子との仲が悪くなり、春夫は、昭和三二年一一月頃、松子に内緒で、松子の家具等を除く家財道具一切を持って丙川のアパートを出て松子と別居した。春夫は、その後も従前と同様、生活費(一夫の養育費等も含む。)を松子に渡したことはなかった。一方、原告は、昭和三三年頃、春夫から同人との同居を求められ、その頃、東京都世田谷区《番地省略》で同居を始めた。春夫の職歴は被告の主張2の(二)のとおりであるが、原告は、春夫と同居を始めてからは洋裁の仕事を辞め、同人の収入で生活しており、昭和五四年八月二五日に同人が死亡するまで同人と同居を続けていた。原告は、春夫と同居生活を続ける中で、昭和三五、六年頃及び昭和四九年三月二四日の二回、春夫と夫婦として仲人を務めたことがあった(以上の事実のうち、春夫が昭和三二年一一月頃松子と別居したこと、春夫の職歴が被告の主張2の(二)のとおりであること及び春夫が昭和五四年八月二五日に死亡したことは、当事者間に争いがない。)。

(四)  春夫は、松子と同居した後も、丁原株式会社に勤めていた間は、それぞれの住居が近い所にあり、春夫の通勤経路上に松子の住居(丙川のアパート)があったことなどから、一夫とはよく会っており、松子とも町中でたまに顔を会わせることがあり、その際にあいさつ等を交わしたり、春夫が松子の住居の近くに行った際に松子の住居の様子を見たりしたことがあった。また、春夫は長年肝臓を患っていたところ、看護婦をしていた松子から顔を会わせた際に薬を貰ったこともあった。しかし、春夫と松子との出会いはいずれも偶然のもので、事前に会う約束などをしてのものではなかった。また、一夫が死亡した時、春夫は、約一か月の間、原告と共に、松子を慰めるため春子方で過ごしたことがあったが、これを除き、春夫と松子とが互いに相手方をその住居に訪ねたことはもとより、生活を共にしたことはなった。ところで、松子は、妹である原告に対し用事等を頼み、原告は、松子が丙川のアパートから転居した際に引っ越しの手伝いをし、松夫死亡後に、同人が最後に勤めていた丁原株式会社へのあいさつには原告が松子に同道を頼み、両名でこれをするなど、この両名の間には若干の交際があった。さらに、松子は、春夫が死亡する直前に帝京大学医学部付属病院へ入院するについて、原告から相談を受け、入院手続の手伝いや春夫の付き添いをした。

(五)  原告は、春夫の葬儀に際しては喪主となって葬儀の一切を執り行い、葬儀関係費用を支弁した。死亡届けについては、葬儀社に代行を頼み、戸籍上の妻が松子であったことから、松子の名前で届出が行われた。また、春夫の遺骨は松子が権利を取得していた甲田寺の墓地に埋葬された。さらに原告は、昭和五四年一二月に春夫の妻である旨の表示を使用した喪中欠礼の葉書を出し、春夫の一年忌を取り行った。

(六)  松子は、春夫が同人の家財道具を全部持って丙川のアパートを出たときに、その仕打ちに怒り、一度は内心離婚する気持ちを持ったが、一夫のことを考えそれを現実の問題とするまでには至らず、その後は特に離婚を意識したことはなく、また、右両者の間で離婚話が出たこともなかった。松子は、原告から、春夫が死亡する約一年前に春夫との離婚を求められたが、これを断っている。しかし、松子は、原告が実妹であり、また障害をもつ者であることを考慮し、原告と春夫とを是非とも別れさせようとまでは考えておらず、春夫と原告が同居生活を解消する方向での働き掛けをしたことはなかった。なお、松子は春夫の七年忌に際して、甲田寺に供養料を送付して、その供養を依頼している。

《証拠判断省略》

3  右認定事実により原告、春夫および松子の生活の実態につき、判断するに、原告と松子とは法律婚関係にあったが、昭和三二年一一月頃に別居して以来春夫が死亡するまで、一夫が死亡した時を除いて別居が継続しており、夫婦としての共同生活の実体を欠いていることが認められる一方、春夫と原告とは、同居を始めた昭和三三年頃から春夫が死亡するまでの約二一年の期間にわたり、経済的にも一体の生活をし、第三者に対して夫婦関係にあることを示す行為をするなど、夫婦同様の共同生活を継続して営んでいたことが認められ、その生活関係は事実婚関係にあったものということができる。しかし、春夫と松子との別居は、離婚の合意のうえでのものではなく、右両名のいずれにおいても、その間の法律婚関係を解消することを求めておらず、右両名の間には離婚の意思があったものとはいい難い。また、右両名の間の子供として育てた一夫が死亡した後、春夫が松子方に原告と共にではあるが一か月ほど同居したことと、右両名の間に積極的なものではないにしても交渉があったこと、その際、春夫は松子から薬を貰ったり、また、松子が春夫の入院の手伝いや付添いをしたこと、春夫死亡後の事情ではあるが、春夫は松子が権利を有している甲田寺の墓地に埋葬され、松子は春夫の七年忌に際して甲田寺に供養料を送金していることなどに照らせば、右両名の間に、長年の別居生活により夫婦としての情愛が全くなくなってしまったとか、相手の存在を全く無視した生活をしているとかいった状態にまで至っていたものとは認められず、結局、右両名の間の法律婚関係により形成された生活身分関係は、微弱なものではあるにしても、春夫の死亡に至るまで、なお維持されていた状態にあったものといわざるを得ない。

したがって、春夫と松子の婚姻関係がその実体を失って形骸化し、かつ、その状態が固定化して近い将来解消される見込みがない、すなわち、事実上の離婚状態に至っていたものとは認めることができない。

そうすると、春夫は、松子と法律婚関係にあると同時に重ねて原告と事実婚関係(重婚的内縁関係)にあったのであるが、春夫の死亡に至るまで、松子との法律婚関係が事実上の離婚状態にあるときに当たる状態に達していたとはいえないから、事実婚関係にあった者である原告は、法五九条一項の配偶者に該当する余地はないものといわなくてはならない。

なお、昭和三二年一〇月の日付が入っている甲第一号証の離婚届について、原告は松子が作成したもの(松子の筆跡である)と供述しているものの、他方、松子は、同書面中には自分の筆跡に似た文字があるが、自分が作成したものではないと供述しており、また、松子が同人の自筆であることを認める《証拠省略》の松子の各署名部分の筆跡との対照によっても直ちに右離婚届が松子の作成に係るものと認めることはできず、その他の本件全証拠によっても甲第一号証の松子名義の部分の成立の真正を確定できないから、積極的に事実認定の証拠とすることはできないのであるが、仮に松子が作成したものであるとしても、その作成日付からして前記二の2の(六)で認定した別居当時松子が一時抱いた離婚の気持ちを表すものにすぎないものと解され、その後において松子は離婚の意思をもっていなかったものであり、他方、春夫は右離婚届を所持していたにもかかわらず、これを届け出ていないことは、春夫には離婚の意思がなかったことを示す証左になると解されることからすると、右離婚届の存在は、春夫と松子の間に婚姻によって形成された生活身分関係を解消する意思の存在を認める資料とすることはできない。

4  以上によれば、原告は、その余の点について判断するまでもなく、法五九条一項の配偶者に該当しない者であるから、遺族年金の受給権を有しないといわざるを得ない。

そうすると、原告が法五九条一項の遺族に該当しないことを理由に本件支給請求を排斥した本件裁定は適法である。

三  よって、原告の本件請求は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 鈴木康之 裁判官 加藤就一 青野洋士)

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